Blog『新宿通り・若旦那通信』

“新宿通りの若旦那”こと、新宿・甲州屋呉服店の志村郷親が、「着物」や「和文化」、日々の仕事のことなどについて語ります。

【若旦那奮闘記①】私が呉服屋さんの仕事を選んだ理由

こんにちは。
“新宿通りの若旦那”こと、志村郷親です。

今日からブログを始めてみました。

あなたにとって面白い内容のブログに
していきたいと思っていますので、
今後ともよろしくお願いします!

1回目なので、簡単に私の自己紹介を
したいと思います。

生まれは昭和54年で、西暦に換算すると
1979年生まれという事で、
最後の1970年世代になります。

出身地は東京都新宿区で、
生まれた時から呉服に囲まれていました。

その後、母の実家近くの調布市に家を建てて、
30年以上調布市に住んでおりますが、
お店の方は創業当初から変わることなく、
新宿の地で続けています。

甲州屋呉服店は大正12年創業で、
西暦1923年の創業になります。

今年でちょうど95周年を迎えることに
なりまして、100周年まであと一歩という
ところまで歴史を歩み続けることになりました。

これもひとえに、これまで支えてくださった
お客様や関係者、皆様のおかげです。

さて、ところで何故、
私が呉服屋さんになろうと思ったのか・・・

・最初からなりたかった!
・跡を継ぐ以外の選択肢は与えられなかった!

とご想像する方が多いかと思います。

しかしそんなことは無かったんですよね。

小さいころはお寿司が大好きで、
お寿司屋さんになりたい!
と本気で思っていましたし、
年頃になると、絶対に継ぎたくないと
思ってもいた、ごく普通の少年時代を
過ごしておりました。

では、何故継ぐことを決意したのか・・・

上記のような多感な少年時代を過ごし、
とうとう就職活動の時期に差し掛かり、
様々な出来事が運命のイタズラを
引き起こすことになるのです。

実際、私は新卒からどこの企業さんの
お世話になることも無く、いきなり
甲州屋呉服店に入社したわけですが、
その決断には大きく2つの理由がありました。

一つは、私が継がなければ、
父の代で間違いなく店が終わってしまうという事。

前々からわかっていたことではありますが、
いざ目の前にして考えてみると、非常に勿体ない
ことなのかな、と思い始めました。

今の時代、新規で呉服屋さんをやる事は
とても難しいので、父の代で終わるという事は、
呉服屋さんの仕事に就くこと、ましてや
呉服屋を経営することはほぼ出来なくなります。

もう一つは、私が就職活動するときは
まだ二代目(私の祖父)が健在でしたが、
高齢であり、体も弱っていました。

入退院を繰り返す状況が続いていて、
いつ代替わりが起きてもおかしくない状況で、
且つ、私の父も大病を患っている時で、
通院しながら会社を切り盛りしているという、
非常に脆弱な状況下だったんです。

以上の2点について、もしものことがあれば、
早くに会社が無くなってしまうかもしれない。

そうなってしまってから考えたとしても、
私にノウハウがなく、何もわからない状況だと、
店をやれなくなるのは間違いがないし、
そして何よりも、贔屓にしてくださっている
お客様や、お付き合いをしている関係の皆様に
ご迷惑をかけることになります。

であるなら、自分がやるしかない!

と決断をしたわけです。

が、そこからが大変でした。

何が大変だったか、色々ありますが、
そのお話はまたの機会に。

では、今後ともよろしくお願いします!

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