「着物警察」とは?呉服屋が解説③
こんにちは!
“新宿通りの若旦那”こと、
甲州屋の志村郷親です。
先週、先々週と、東洋経済オンラインの記事で知った「着物警察」というパワーキーワードについて、私なりの解釈、解説をしてきました。
今回は、解説というより、回顧録といいますか、業界の裏事情といいますか、、 その辺りのお話を呉服屋の視点からお話ししようと思います。
記事によると、着物市場が縮小していく中で、着物業界の多くの企業が高級化路線に舵を切り、後付で、様々なしきたりやルールができたことから、着物警察が跋扈(ばっこ)するようになったということが解説されています。
確かに、それはある意味正しい側面もありますが、市場が縮小し始めた時の時代背景を勘案すると、あの当時では、あながち間違った戦略でも無かったかのように思えます。
なぜかというと、世の中がバブルで浮かれていた時代に、既に、着物市場は縮小し始めていたからです。
つまり何を言いたいのかというと。。。
着物市場のピークは、1982年頃で約1.8兆円の小売売上高規模を誇っていました。(そこから下降の一途をたどりまして、現在では、2800億円規模ほどと言われています。)
1982年当時はまだ世の中の景気が良く、その後の1986年から始まるバブル景気の頃は、世の人々は競って高価な着物を買っていたぐらいです。
当然、景気がいいと、着物を作る職人さんの賃金も年々上がり、お支払いする工賃もどんどん高くなっていきます。
そこへ持ってきて、着物離れで数が売れなくなると、呉服業界としては、より豪華で高価格が付けられる商品を創作してお客様に買っていただくという戦略を取らざるを得なくなったという状況だったわけです。
ただ、そんな空前の好景気も長くは続かず... 1991年以降に、ついにバブルが崩壊します。
記事による「功罪」というものがあるとすれば、バブル崩壊以降の話なのではないかと私は考えています。
詳しくは、次回に続けます。
追伸
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