Blog『新宿通り・若旦那通信』

“新宿通りの若旦那”こと、新宿・甲州屋呉服店の志村郷親が、「着物」や「和文化」、日々の仕事のことなどについて語ります。

【若旦那奮闘記③】続・驚きと大変だった入社後の日々

こんにちは。
“新宿通りの若旦那”こと、
志村郷親です。

本格的に夏到来で、
そろそろ花火大会の
開催ラッシュが控えていますね。

さて、
もう1ヵ月以上前のメールで、
私の入社後の日々の苦悩と
葛藤をお話させていただいたことを
覚えていますでしょうか?

その際、
続編をお話する
という事になっておりまして・・・

え?
「忘れてたんじゃないの?」
ですって?

安心してください、
覚えてますよ!(古)

冗談はさておき、
先ずはこのアナログすぎる店を
何とかしないといけないと考えて、
パソコンを持ち込んでデータ化を始めた
というところまでは以前お話したと思います。

しかし、
これまでコンピュータに
縁のなかった店の人達は、
私の行動をなかなか理解して
くれませんでした。

机に向かって一心不乱に
データを打ち込んでると、
どこそこに行ってきてくれ、
あれを探してきてくれ、
といろいろな用事を振られてしまい、
一向に作業が進みません。

恐らく、悲しいかな、
周りからはサボってると
思われていたのでしょうね。。。

なので、
店の者が帰った後、
夜遅くまでパソコンの作業を
する日々が続きました。

他にも、
ホームページの開設や
商品ラインナップの充実など、
様々な改善策を提案していきました。

というのも、
当時のお客様は、
ほぼ100%に近い割合で
お得意様が中心だったからです。

このままだと、
お得意様の来店が徐々に
減っていってジリ貧になる、
という危機感を覚えていました。

しかし、
そんな私の提案も、
「この世界はこういうものだ」、
「お前が考えることではない」等々、
店ではいろいろ言われてしまい、
まともに聞いてくれることは
ありませんでした。

昔気質の世界なので、
若造が言ったところで
所詮そんなものです。

それでも
いつかは報われると信じて、
様々な改善策や新たに取り入れるべき
施策を提案する、ということを
粘り強く何年もやっていたのですが、
ついに、
私の改革のエネルギーが切れてしまい、
黙るようになってしまいました。

言われたことを
淡々とこなしていく毎日。

そして私が予想した通り、
徐々にジリ貧になり始めていきます。

新たな刺激もなく、
腐りかけていた私でしたが、、

ある日突然吹っ切れます。

すみません、
また次回に続きます。

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